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中村ブレイス株式会社様訪問感想文

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20代男性

中村ブレイス株式会社を見学して

私は、現在大学3年生で、インターンシップの一環として「いい会社研究会」の合宿に参加させていただきました。就職活動にむけて、会社を調べたり、お話を伺ったりすることは今までたくさんありましたが、今回のような業務を見学し、経営者の方自らのお話を聞けるようなかたちというのはとても有難い機会だと感じていました。

 

中村ブレイス株式会社は義肢装具を作る会社ということでしたが、自分には馴染みのない業界だと思いました。今まで事故や怪我や病気などありはしたものの、体の一部を損傷してしまうことはなかったので、義肢を考えることはなかったからです。また、装具も使用したことはありましたが、特にそれについて考えたことはありませんでした。しかし、こういった物を必要とする人がいて、その人達にとっての助けになっている。つまり人の幸せに貢献している「いい会社」なのではないかと漠然と思っていました。

 

中村ブレイス株式会社に車で到着して1番に気がついたのは笑顔です。経営者である中村社長、奥様、従業員の方がとても素敵な笑顔で迎えて下さりました。そして、会社の周りの景色、自然を紹介して頂きました。川が流れ、木々は青々として、風は澄んでいました。曇り空ではありましたが、東京よりも雲が近く感じられ、自然から力を分けてもらえた気持ちになりました。

清々しい気持ちで社内を軽く案内して頂いたあと、中村社長のお話を拝聴しました。お若いころの日本での話、創業なさった話、アメリカに渡った話、苦労をたくさんされたに違いないのに楽しそうに話されていました。そして、中村ブレイスが作ったシリコン製の指や手や耳を拝見させていただきましたが、自分のそれらと何も変わらないとさえ言いたくなるほど精巧な作りでした。指を並べてみても人間の指とほとんど違いがないのではないかと思いました。その後、社内の作業風景を見学させていただきました。従業員の方もまた楽しそうに作業をしていたのです。壁には「THINK」と書かれていました。一人一人が自分で考えて働く会社をよしとしていることがわかりました。

 

私は小さな部活動で部長をしており、組織のあり方について考えてきました。リーダーがバリバリ仕事をして、組織を引っ張っていくものだと思っていたこともあります。でも、それではそのリーダーが休んでしまったら、いなくなってしまったら、そう考えるとリーダーが1番できる人間であることに疑問を感じました。中村ブレイスさんの会社の壁にその答えはありました。一人一人が自分で考えて自立して動くことが組織にとって一番良いのではないかということです。中村社長が下さった本の中で、「昔は、自分が頑張ればいいと思っていた」といったことが書かれていました。人に動いてもらうこと、またそれを暖かく最後まで見守ることが大切なのだと、中村社長の温かい笑顔の中に感じることが出来ました。

 

今回、会社の見学をさせて頂いて、本当に素晴らしい機会になったと思いました。しかし、本当に大切なことは、こういった学びを自分の今後の行動に生かしていくことなのだと感じています。

最後にはなりますが、中村ブレイス株式会社の皆々様、またいい会社研究会の方々にお礼申し上げます。

60代男性

●はじめに

 何回もいい会社の法則実行委員会で取り上げられ、又坂本光司さんの『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)、1回目の書籍で絶賛されている会社であることで期待していた。ほんとにこのような辺鄙な田舎で優良中小企業としてやってこられているのはどのような思いや経営方法があるのか興味があった。特に興味はスタートの時に問題青年に対して我慢強く育てられたことの真意や限界地域となりつつある町においてどのような想いで社会をみているのかでした。

 

●中村俊郎社長の説明などで特徴的な事。

  1. 1974年12月20日に創業、10月決算なので40年となったが、実質は本年12月20日が40周年。苦労したことはない。楽しい連続だった。一人では出来ない。一人ひとり応援しようとしている。沢山の若者に出会った。トラブルメーカーも入社してきた。特に最初の入社した16歳の若者は数時間しては帰ってしますという繰り返しの中、厳しく優しく愛情を持って、仕事を教えることで、一人前の職人になった。彼はITが得意だったが、病院嫌いでお客さん(義肢義装具の取引)のところへ行けなかった。幼児期の病院へ強制入院された体験からトラウマになっていたらしい。つまるところビジネスの前に人を育てることが一番重要だ。
  2. 48年前京都の義肢用具店で働いていた時、京都大学附属病院に出入れされていた。勉強不足知識不足の自分は不幸だと思っていたが、若い吉村先生から「中村君は幸せだな、いいな」との言葉をかかれたので今がある。最初はその言葉をどう解釈したらよいのかと思ったが、「そうだもっといろんな勉強しなければならない。もっといろんな人と出会わなければならない。」と思った。
  3. その言葉がその後の近畿大学の通信制学部に入学のきっかけになった。そうだ人のせいにしてはいけない、学ばねばならない。そうだ親が悪いとか島根の小さな町出身とか言ったって、逆に自分が最大限の磨く努力を一生かけてやろうと決意した。これも吉村先生との出会いと言葉が今でも感謝でいっぱい。他に先生も海外の大学に留学するということを聞いて、自分も一流の施設をのぞいて見たい、海外へ行くこと、命懸けのチャレンジすること、若さであった。30名ほどの社員の前で宣言した。いてもたってもいられなかった。
  4. 羽田からサンフランシスコに旅立ち、夢のアメリカに出会い驚嘆した思い出は今でも鮮明。その後300kmバスで走ったオレンジ畑の中に世界一の義肢メーカーの工場(大都市でない)でホズマンの社長(ジョン・フリータ)が温かく迎えてくれた。 帰りに心配してくれて、名刺を渡してサンタモニカの「イシバシトシ」を紹介してもらった。ほんとに涙の物語。
  5. この石橋さんのところで移民1世である奥さんの両親(義父母)が島根出身であることが分かり、勉強させてあげてと石橋にアドバイスしてくれたとのこと。
  6. 出会いが大切、出来ないと思い込んでいる。40年前実家の納屋10坪から始めたこの義肢装具の事業。世界のホズマンに追いつくという目標があった。
  7. 最盛期は20万人が現在400名の大森町、そして世界遺産の石見銀山(2007)ということもあるが、歴史文化、街並みを残し、次の世代に繋いでいくためとしている。世界遺産の町なのだ。誇りに思っていい。中村屋は230年前岐阜美濃の国から代官所の刀工としてやってきた。そのDNAを持っている。
  8. 中村俊郎社長はこの江戸時代からの武家屋敷や廃屋寸前の古民家など購入し、同町への移住者など対象とした賃貸住宅や従業員の社宅として再生。この活動により世界からも人が来てくれるようになった。その数は40軒を超えるとのこと。「街づくり」は地域と若い人とともにやっていく。
  9. 企業のロマンを持ってやってきた。周りからはそんなことできっこないなど言われたが。地域をささえることが重要なのだ。創業時1個(月1万円の売上)からスタートし現在10万人以上の人にお役立ちしている。現在、世界30か国に利用者が居て、Brace(支える:つかえる):人を支え続けることが経営理念。
  10. いい会社とは「社員をかわいがる」会社だという。しかし時々けんかするという。大学生に対して「できないと思うのではなく、やる気になって努力すれば必ず達成できる」と強い想いを持つことが重要だ。
  11. 現場での案内では作業しておられる社員はイキイキと義肢など作製の仕事に取り組んでおらえれた。挨拶もさわやかで笑顔が自然だったのが印象的でした。特に若い人にソールのカットの仕方をOJTで指導されていた。まずは自分でやって見せて、そしてやらせてみて、任せておらる場面にであいました。所謂山本五十六の教育方法(人材育成)をそのものだと感動しました。このようにして中村社長の40年間人を育ててこられたのだと得心した次第です。義足の製作室ではどれくらいで一人前ですかという質問に10年でやっという回答でした。やはり社長の「企業はひとづくり」ということに納得した。

●見学しての感想

  1. 中村社長の京都での吉村先生から「中村君は幸せだな、いいな」との一言の影響の大きさです。その目覚めの原点はどこにあったのかと考えると中村屋という200年以上の大森の町の人や文化や歴史、環境や風土がそうさせたのではと思います。つまり中村屋のDNAがそのようなエネルギー(マグマが沸々と火山噴火させるような)を呼び起こせたのではと思います。脈々と命のバトンのエネルギーであったともいえます。
  2. 21歳ごろでしょうか。単身世界一の義肢具メーカーなどの見聞広げるため渡米したことも仰天です。カルフォルニアのオレンジ畑の中のオズマン社と社長との出会い、そしてサンタモニカのイシバシトシ氏との出会いそしてそれをきっかけに再渡米しての留学(イシバシで仕事されながら)にされたエピソードに感動するとともにそのパワーが島根の「小さな大森町で世界を目指す」という志の原点となったとのことに感激しました。
  3. ハンディを持った人援助したい、お役立ちしたい、大森から世界へという志がとても強く持ておられたということが、この地方の小さな町から世界的なオンリワンでベストワンの企業ができたのだと納得しました。社長の楽しいことばかりだったとのことですが、実家の納屋わずか10坪から一人での創業並大抵でない苦労もあったのではとうかがい知ることができました。
  4. 社長に一つだけ質問させていただきました。会社創業時の問題社員(来たり来なかったり)について忍耐したのはどのような意図や想いがあったのですかに対して、こころの問題(トラウマ?)があったようだが社長にない数学や化学など出来る子だった。その優れた点を見抜き我慢強く教えて一人前になった。その後その人はIT関連の仕事をしたいということで退社したとのこと。中村社長のどんな社員でも良い点も見つけて伸ばすというそれぞれの社員の人生の支えにもなる「ブレイス」という信念なのかもしれない。
  5. そして200年以上前に岐阜県美濃からやってこられた先祖からのDNAが「お前は我が家の宝だ」という父の言葉が発せられ、そのエネルギーがこのような素晴らしい会社を作られたのだと理解しました。命のバトンの大切さ、先祖から営々として築き上げ続けられてきた歴史と文化、自然環境や風土や街並みはとても重要だと思いました。都会のマンションで育った子供とこのような地域文化や風土があるところで育った子供には将来大きな人間的な違いが生じるのではと思います。「若者よ地方で生活し次の世代に文化をバトンしましょう」と大きな声で伝えたいと思いました。

20代男性

第一印象は非常に良かった。こちらが遅刻していたにもかかわらず、社長自ら会社前でお出迎えしていただいた。また車を誘導してくれた方の笑顔がとても自然でさわやかであり好印象だった。「おもてなし」の精神を感じさせる企業であった。

外観・内装ともに、一見すると民宿を想起させる趣であり、今回会社見学を初めて行ったのだが、自分が今まで持っていた「会社」というイメージからは人・職場の両面において非常にかけ離れたものだったと思う。なぜなら自分が想像していた「会社」とは、これまでにアルバイトで行った会社のように、小奇麗なオフィスのなかで上司はふんぞりかえっていて従業員はシステマティックに動く、そんなものだった。しかし中村ブレイスは、社長自らが我々を迎え、個人的に伺いに行った質問も快く答えてくれた。

 

 中村ブレイスは総業40年であり個人経営から始まったが、そのことについて中村社長は「苦しいというより楽しいの連続」とのべた。ここに中村社長の人生観が表れていたと思う。

困難な状況を苦とせず、試行錯誤やチャレンジを助けてくれる仲間たちと共に行い乗り越えることを楽しんでいく。

これは見習うべき点であると思うと同時に今の自分には難しいことだと思った。これには心のゆとりが必要不可欠であると思う。そしてゆとりを持つためにはまだ困難な状況に直面することなどの経験が足りなさすぎると思った。中村社長は言葉もうまく話せないままアメリカに飛び、そこで様々の貴重な人生経験を積んだ。言葉がしゃべれなかったことまでもプラスに捉え、そうでなければ現在の成功には至っていないとまで考えているようだった。このチャレンジ精神や思い切った行動がとれるというのは、やはりいい経営者には必須の項目なのだろうと痛感した。

 

 中村ブレイスの名前は口コミで広まっていき、それと同時にこの会社は地域活性化にも努めていた。中村ブレイスが所在を置く大森町は人口四百人程度の町であり、交通の便も悪く地域内だけで経営を行うのは無理があるうえ、交通の便が良い場所に会社を設立した方が良いと考えるのが一般的であるし自分もそう思っていた。しかし中村社長は自分の地域を支えていきたいという気持ちが非常に強く、地域の人々を積極的に雇用してきたと思う。それは同地域内の幼稚園児13人中7人の親が中村ブレイスに努めているということからもうかがえる。「ビジネスの前に人を育てることを喜びとする」

この言葉通り、この会社は人を育て、地域を支えることに尽力していると感じた。会社内には社是である「Think」と書かれた張り紙がいたるところに張られており、人を喜ばせるものを自分たちで考えて作っていくことを従業員に教え込んでいる。また、従業員には社是が浸透しており、彼らは会社の気風に応えるように、快活で、そして満足感をもって仕事をこなしているように見えた。ここには人の喜ぶ顔を直接見ることができることが大きなやりがいにつながっているように思える。

 

この会社が口コミで広まっていく要因というのは地域活性化に努めていることや人の育成を大切にしていることのほかに重要なことがある。それは世界に誇る技術を持っていることだ。シリコン成形技術はこの会社の強みとなっており、乳房のリアルな再現を可能とした。また、指のしわや指紋、肌の色までも忠実に作り上げ、できるだけ義肢を使う人が自然に感じられるよう、100%生身のような感覚に近づけるよう努力している。また、一品性であるのに世界30か国とのやり取りがあるというのも非常に珍しい。説明会では実物を見て触らせて頂いたが、乳房など特にリアルに感じられた。

 

 VTRを見せて頂いたとき、義足をつけた患者の方が涙するシーンをこちらももらい泣きしてしまいかけるほど美しいものだった。この現場に立ち会った時に、その仕事の大切さや、やりがいに気付かない人間はいないだろうと思えた。この会社は従業員や、義肢を使う人のことを何よりも重要視し、同時に世界に誇る技術を身に付けていくこと、そのような要因がかさなりあって利益につながっているのであり、素晴らしい企業として名を残しているのだということがわかった。また、もし中村社長が交通の便がいい場所を中心に企業を展開していたら現在のような気風は生まれなかったのではないかという思いがあり、まっすぐ通った信念や意志の強さというものの重要性を改めて知った。

20代男性

第一印象は非常に良かった。社長自ら会社前でお出迎えしていただいた。また車を誘導してくれた方の笑顔がとても自然でさわやかであり好印象だった。「おもてなし」の精神を感じさせる企業であった。

外観・内装ともに、一見すると民宿を想起させる趣であり、今回会社見学を初めて行ったのだが、自分が今まで持っていた「会社」というイメージからは人・職場の両面において非常にかけ離れたものだったと思う。なぜなら自分が想像していた「会社」とは、これまでにアルバイトで行った会社のように、小奇麗なオフィスのなかで上司はふんぞりかえっていて従業員はシステマティックに動く、そんなものだった。しかし中村ブレイスは、社長自らが我々を迎え、個人的に伺いに行った質問も快く答えてくれた。

 

 中村ブレイスは総業40年であり個人経営から始まったが、そのことについて中村社長は「苦しいというより楽しいの連続」とのべた。ここに中村社長の人生観が表れていたと思う。

困難な状況を苦とせず、試行錯誤やチャレンジを助けてくれる仲間たちと共に行い乗り越えることを楽しんでいく。

これは見習うべき点であると思うと同時に今の自分には難しいことだと思った。これには心のゆとりが必要不可欠であると思う。そしてゆとりを持つためにはまだ困難な状況に直面することなどの経験が足りなさすぎると思った。中村社長は言葉もうまく話せないままアメリカに飛び、そこで様々の貴重な人生経験を積んだ。言葉がしゃべれなかったことまでもプラスに捉え、そうでなければ現在の成功には至っていないとまで考えているようだった。このチャレンジ精神や思い切った行動がとれるというのは、やはりいい経営者には必須の項目なのだろうと痛感した。

 

 中村ブレイスの名前は口コミで広まっていき、それと同時にこの会社は地域活性化にも努めていた。中村ブレイスが所在を置く大森町は人口四百人程度の町であり、交通の便も悪く地域内だけで経営を行うのは無理があるうえ、交通の便が良い場所に会社を設立した方が良いと考えるのが一般的であるし自分もそう思っていた。しかし中村社長は自分の地域を支えていきたいという気持ちが非常に強く、地域の人々を積極的に雇用してきたと思う。それは同地域内の幼稚園児13人中7人の親が中村ブレイスに努めているということからもうかがえる。「ビジネスの前に人を育てることを喜びとする」

この言葉通り、この会社は人を育て、地域を支えることに尽力していると感じた。会社内には社是である「Think」と書かれた張り紙がいたるところに張られており、人を喜ばせるものを自分たちで考えて作っていくことを従業員に教え込んでいる。また、従業員には社是が浸透しており、彼らは会社の気風に応えるように、快活で、そして満足感をもって仕事をこなしているように見えた。ここには人の喜ぶ顔を直接見ることができることが大きなやりがいにつながっているように思える。

 

この会社が口コミで広まっていく要因というのは地域活性化に努めていることや人の育成を大切にしていることのほかに重要なことがある。それは世界に誇る技術を持っていることだ。シリコン成形技術はこの会社の強みとなっており、乳房のリアルな再現を可能とした。また、指のしわや指紋、肌の色までも忠実に作り上げ、できるだけ義肢を使う人が自然に感じられるよう、100%生身のような感覚に近づけるよう努力している。また、一品性であるのに世界30か国とのやり取りがあるというのも非常に珍しい。説明会では実物を見て触らせて頂いたが、乳房など特にリアルに感じられた。

 

 VTRを見せて頂いたとき、義足をつけた患者の方が涙するシーンをこちらももらい泣きしてしまいかけるほど美しいものだった。この現場に立ち会った時に、その仕事の大切さや、やりがいに気付かない人間はいないだろうと思えた。この会社は従業員や、義肢を使う人のことを何よりも重要視し、同時に世界に誇る技術を身に付けていくこと、そのような要因がかさなりあって利益につながっているのであり、素晴らしい企業として名を残しているのだということがわかった。また、もし中村社長が交通の便がいい場所を中心に企業を展開していたら現在のような気風は生まれなかったのではないかという思いがあり、まっすぐ通った信念や意志の強さというものの重要性を改めて知った。

40代男性

このたびは御社にご訪問・見学をさせていただき、誠にありがとうございました。ご多忙中にも関わらずご親切にご対応いただき、大変感謝しております。

 

石見銀山・大森町には数年前に家族と観光で来たことがあります。その頃は石見銀山が世界遺産に認定されてしばらくしたころでした。観光でしたので、中村ブレイス様の名前も知らず、映画のロケ地になったという看板を見ても「へぇ」としか思っていませんでした。

その後「日本で一番大切にしたい会社」を読んで御社の事を知り、驚いたのを覚えています。

 

今回中村社長のお話を伺って、お人柄と情熱、そして人のためになることへの深い愛情を感じました。京都での先生に言われた「君は幸せだなあ」という言葉、アメリカでの偶然の出会いの数々・・・「ラッキーだった」「偶然の縁のつながり」を繰り返しておられましたが、縁を引き寄せたのはほかならぬ中村社長の「素直」なお気持ちなのではないかと思いました。

 

またなぜこの片田舎に、のご説明。しかも

最初から「世界」を目指していたというご説明を聞いて、「オンリーワン」とはこういうことかと思いました。

 

その後、工場を見学させていただきました。

明るく雰囲気のいい、気持ちの良い職場でした。働いている方々のイキイキとした表情、自然な挨拶。それに表示・見える化・机の高さ。働く人の負担軽減などの工夫も随所に感じられました。

 

一人ひとりの患者さんに合わせたオーダーメイド。「使う人の身になって」を実感できるひとけずり、ひと縫い。目の前にいない人のために少しでもいいものを使ってもらおうと全力を尽くしておられる姿を目のあたりにして、グッとくるものがありました。

 

中村社長の思いが現場で働いておられる方々の一人ひとりにいきわたっているからこそ、「think」のスローガンの通り、このような患者さんのためにより良いものを、という気持ちが伝わる職場になっているのだと感じました。

 

見学を通して、改めて「人財」という言葉を思い出しました。こういっては失礼ですが、オートメーション化された全自動の機械ラインなどは見当たりませんでした。思いと価値を作り出していくものは機械ではなく「人」であると再認識しました。機械や材料は買ってくればいいものですが、人はそうはいきません。70人のスタッフの一人ひとりが思いを共有して、「少しでもいいものを」「喜んでもらいたい」と思って意識を高く持つからこそ、「世界」を相手に商売ができる「オンリーワン」の存在になっておられるのだと感じました。

 

帰ってから改めてご著書を読み直しましたが、やはり社長の思いが凝縮されていました。御社で伺った言葉と寸分の狂いもなく、軸のぶれない思いと行動を感じることができました。やさしい会社になる為には思いの強い会社でなければいけない。「ブレイス」=「支える」という言葉の意味を体現されています。患者を支え、社員を支え、地域を支えることは「相手良し、世間よし、自分良し」の「三方よし」そのものだと感じました。

 

このたびは本当に幸せな見学をさせていただきました。同じ「ものづくり」に携わっている身として、これから私達も「思い」を胸にお客様も地域もスタッフも幸せになれる会社を目指していきたいと存じます。

 

本当にありがとうございました。

20代女性

今回の訪問は『島根県の石見銀山近くにある義肢装具をつくっている会社を見に行きませんか?』と話をいただいたことがきっかけでした。この一文だけで私の興味をそそる単語がいくつも含まれていて、こんなチャンスをもらえること自体をありがたいと思い会社見学に参加しました。

 

 

 中村ブレイスさんは今から登山でも始まるのかと思うほど山の中で一本道を中に入った小さな集落にありました。たどり着くまでの道のりはその一本の道を間違えるとたどり着きにくいところで、『さっきも通ったトコだね』という感じで同じ場所をクルクル、3回目でたどり着きました。

 

 

 会社の前には中村社長はじめ数名の社員さんに迎えていただき、まず石見銀山の環境を紹介していただきました。世界遺産の環境下で江戸時代からの外観を損なわずに会社が存在することも働いている人たちのモチベーションに関係するだろうと想像できました。

 

 会社内もレトロな中に工房が存在し通路からも中で作業をしている方が見えるようなつくりになっていました。初めは中村社長の話からでした。外見はニコニコしていて笑顔を絶やさない優しい雰囲気でしたが、話始めると勉強家で情熱のある方だというのがヒシヒシと伝わってきました。

 

 

 高校を卒業されてから京都の義肢製作所へ就職されたものの、仕事は好きだけれども、自分の知識の少なさから不安を覚え、相談された方からの「君は幸せだなぁ」といわれたことの解釈として「自らが学ばないといけない。」「知識を得ないといけない。」「広い世界を知らないといけない。」と感じ行動される力を持たれた方でした。話の中に『運が良かった』『奇跡』という言葉が多くでてきましたが、中村社長ご自身が興味あることへの行動を起こすことが多くの出会いに至ったのではないかと思えました。話すことは力強く、自分のやりたいことや目標を明確にしている人ということも感じられました。

 

 

 今年12月で、自分ひとりで仕事を始めてから丸40年、楽しい毎日の連続だったと話されていたことも印象的でした。ご自身も始まりは技術者であったのに、ビジネスよりも人を育てることを重要視し、すぐれた技術者を育てることを喜びと感じておられる考え方は経営者として未来をみて行動されているように見えました。

 

 

 話のあとに中村ブレイスさんで作っておられるシリコーンでできた義手や指を見せていただきました。本物そっくりで指紋まであり指から毛まではえていることに驚きました。最近ではネイルができるように爪の部分は少し硬くなっており艶もあって指だけでおおよそ女性か男性かも判別できそうなほどです。またもともとは透明のシリコーンで形が出来上がっているところに内側から色を塗っているという事にも技術力の高さが窺えました。血管の色を足し何層にも肌の色を塗り重ねて本物そっくりに仕上げる技術は芸術品です。

 

 

 その後工場内(工房内)を見学させていただきました。義手義足というとオーダーメイド品で個々にあったピッタリなものを作っているという印象でしたのでインソールやサポーター、コルセットなども作っていてそれらが主力商品となっていることで利益もでて個々のオーダーメイドにも対応できているのだと知りました。実は私もサポーター類にはお世話になっていたのだと見学をさせていただいているときにわかりました。

 

 

 見学日は雨も降っていて外は薄暗かったのに、工場内はとても明るく感じました。照明の明るさが際立っていたと思うのですがすごく白く明るいという印象でした。また作業されている方も真剣に仕事に取り組んでおられ、見学後に「ありがとうございました」と声をかけると作業者の方々からも明るく「ありがとうございました」と返していただき気持ちが良かったです。石膏を削っておられる方やミシンをされている方や袋詰めされている方などなど近くでじっくりと覗き込んでしまいました。中には作業を教えている方教わっている方もみられすごく雰囲気もいいんだと思いました。工場内に入ったときの明るい印象がそれらすべてを含めてでていたのかもしれないとあとから私が感じたことでした。

 

 

 今回の会社見学でいい会社だなと感じられることは個々の仕事に対してだけの熱意だけでなく、環境や社員さんを育てていく会社全体の空気感に熱がこもっているなと感じられ、いい雰囲気になっているんだなと思えました。

 会社見学会に参加させていただきありがとうございました。

30代男性

義肢装具はわれわれの職業柄なくてはならないものですが、装具会社の中を見学する機会はなかなかないです。われわれも中村ブレイスさんの製品を使用させていただいております。経営面や装具の作成過程など含め非常に刺激になりました。

 

 会社訪問させていただいて第一印象としてはやはり田舎だなという事でした。しかし、中村社長のお話を聞くと田舎には田舎の理由があることがわかりました。アメリカで留学した際の世界的有名企業がオレンジ畑の中にあるホスマン義肢を見学し大森町でもできると感じられたそうです。「普通の人は田舎だとできないと思っている」との中村社長の言葉が印象的でした。中村ブレイスさんの立地条件を見ると場所が悪いから儲からない、客が来ないとかの言い訳が全くできないです。     

 

 社員の住む場所がないなら作ればいいという発想、こういう社員を考える姿勢が全国から若者を呼んでいるのだと思います。われわれも人手不足とか甘いことを言っていてはだめだと痛感しました。結果的に45軒もの古民家を改修し街を造ってしまったことには頭が下がります。社長も人が集まる「場」を作るとおっしゃっていました。社長は会社だけでなく街を愛し街を結果的に造ってしまったと思います。

 

 中村社長と中村ブレイスさんを見学させていただくと「いい会社」の結局行き着く先は人柄だと思いました。

「ビジネスの前に人を育てる。人を育てる喜び。社長が今の自分があるのは出会いの連続。出会いに感謝している。」

決して自分自身のおかげで今があると言わない。中村ブレイスのブレイスの意味が人を支える、地域を支えるという意味がこめられている事に感動しました。また、社長は全くネガティブなところがない。仕事がなかった時期に関していえば「仕事がないのも勉強」といわれていたのが印象的でした。社員をかわいがる(決して甘やかすのではない)会社が喜ばれるんだとおっしゃっていました。シリコン製品の特許をわざわざベルギーで取った理由がアンデルセン童話の舞台で夢を与えるためとの言葉に感動しました。 社長の人柄も社風、社員さんに表れていると思いました。何より社員さんの笑顔が素敵でした

 

 商品もいろいろ見せていただきました。商品へのあくなき探究心へのすごさを感じました。足底板のようにすでに完成されている製品をさらに高めてようとしている姿勢がすばらしいと思いました。社是のThinkが各部署の壁に貼ってあることからも常に社員さんが考えている事がこういったことに現れてきていると思いました。会社の中でも社員さんが常に考えているといわれていました。

 

宿泊施設のゆずりは 拝見させていただきました。遠方から来る患者さんのためを思い宿泊施設まで作ってしまう姿勢に感動しました。義肢装具の会社の中には作ってそれで終わりというところが少ないないです。ちゃんと生活に合わせて動作確認までする、当たり前を当たり前にする姿勢は見習うべきと思います。

 

 奥様にもお話を聞くことができました。非常に貴重な機会でした。若いときは仕事:家庭が10:0との事でした。新聞を読んでいても会社のことを考えている。昔は家の前が会社だったので夜でもすぐに会社に行っていた。妻としても仕事に一生懸命なので何も言うことができなかった。しかし、子供もあとを継いでいる所を見ると間違っていなかったと思うとの事でした。私事ながら子供が生まれ仕事と家庭のバランスのとり方が難しいですが、とにかく仕事は一生懸命やろうと思いました。

 

 

とにかく刺激が多い1日でした。まとめると探求をやめない、ネガティブをネガティブと思わない、出会いを大切にする、会社・街を愛す。この4点が大きな収穫でした。

 

 最後に中村社長にはわれわれと協和義肢に特別にご配慮いただいたみたいでまことに恐縮しました。自社の発展と患者様の満足度を上げることが今回の見学に報いることと考えます。本当にありがとうございました。

20代女性

先日は、お忙しい中、貴重なお時間を割いて頂き、誠に有難うございました。

弊社と御社の取り扱う製品、社員のモチベーションの違い、社員の教育を拝見させていただきたく参加させていただきました。

 社内見学を拝見させていただき、いろいろな面で勉強になることがありました。

使用している機械の違いをはじめに、考えを文章にして目でわかること、個々の目標をしっかりもって作業をしていることなど、弊社との違いがありました。

 若者の発想を最大限に生かすような環境を大切にしていることが見てわかり、弊社でもそのような環境を参考にさせていただきたいと思います。

 また、社長の話を聞かせていただき、自分が義肢装具士として目指していた考えを再度認識することができました。

 

「いい会社」とは?簡単な言葉ですが、自分の考え方によっていろんな意味あいになると思いました。

私にとっての「いい会社」。どんな仕事をしても楽しい。相手にもその楽しさを分あえる。何をしていても楽しくて、人生の生きがいだと感じた時が、私にとっての「いい会社」であり、プライベートまで楽しめるような、会社が理想的です。

 

 人を育てる喜び、人との出会いが大切、常にチャレンジ精神、やると決めたら突き進むなど、月日が経つと、つい忘れて仕事に追われる日々になってしまいますが、初心に戻り頑張っていきたいと思います。

 

 今回参加させていただき、自分自身のモチベーションが上がりました。このモチベーションを維持し、会社全体のモチベーションを高くし、すべてに対して「楽しい」。を、いろんな人と共有していけたらいいと思います。

 今回は、本当にこのような機会をいただきありがとうございました。

30代男性

この度は会社見学誠にありがとうございました。ご多忙の中大変親切にご対応頂きまして感謝申し上げます。

まずはじめに中村ブレイス様は「日本で一番大切にしたい会社」の書籍を拝見させて頂き、存在を知ることが出来ました。
ただ、その時は商品に対して注目していた所があり、実際に訪問する事で更に素晴らしい取り組みをされている事を知ることが出来たと思っております。

 

中村社長の話をお伺いする中、お出迎えまで頂き、優しいお人柄そして情熱のある方だというのが心に残っております。お話の中でも「君は幸せだなあ」というお言葉、アメリカでの出会い「ラッキーだった」を繰り返してお話されていた事に偶然ではなく、勝手ながら中村社長がそのきっかけを今でも大切にしている事が中村ブレイス様の成功の根底にあるのではないかと思います。
また、最初から世界を見ていたというのも自分自身参考になりました。
どういう地域、業種業界であったとしても最初からダメだと思わずに挑戦してみる事は私自身が中村ブレイス様にお伺いさせて頂いた事をこれからの人生で大切にしていきたい言葉にしたいと思っております。

 

次に商品についてのご説明を頂き、「使う人の身になって」を大切にされているというのを感じました。特に人の手を大切にされている印象があり、困っている方お一人お一人に合わせた商品作りをされている点、「ブレイス」=「支える」という言葉、「think」の言葉で考えながら商品つくりを行う事、その根底にある人材の部分があるからこそ人を大切にする為にも石見銀山の地域において、地域にも貢献する活動をなされて、創業当初から社員さんを大切にされている中村社長の姿勢、その大切にする為の考え方と見習うべき点ばかりだったと改めて感じております。

今回の会社見学におきまして、改めて大切な姿勢、考え方を学ばせて頂いたと思っておりまして、私共の活動をより価値のあるものに高めていく為にも、今回の訪問をいい会社研究会で開催しております全国各地の勉強会においてお伝えさせて頂ければと思います。

改めましてありがとうございました。

40代男性

*中村社長様、社員さんにお会いしての印象

 私の中村社長様との最初の出会いは法政大学教授の坂本先生の著書「日本でいちばん大切にしたい会社」シリーズ1を読んだ時でした。まずその時に不思議に思った事が二つありました。一つ目は、島根県の石見銀山の麓の小さな町の会社でお客様が世界中からやってくるってどんな会社なんだろうと全く想像がつかなかった事。二つ目は、障がいを持った方とのやりとりでした。一日数時間、来たり来なかったりの社員さんそんな状況で働けるのだろうか。とにかく一度どんな社長さんだろうかお会いしたくてたまりませんでしたが、今回「いい会社」の研究会でベンチマーキング開催を非常にワクワクどきどきで心待ちにしての参加でした。いよいよ中村社長様との初対面、はじめましてのごあいさつから感じられる温和で優しい雰囲気の中に落ち着いたおもてなしの心配り、なんとも言えない誰でも包んでくれるような包容力と安心感を感じました。案内して頂いた社員さん、息子さんもすごく丁寧にはじめての方でも分かりやすく伝えてくださいました。作業されている社員さんも明るい笑顔であいさつしてくれました。それ以外の時は作業に集中して真剣に取り組まれている姿が印象的でした。

 

*中村ブレイスさん中村社長様のお話を聞いて

 まず最初におっしゃたのが、中村ブレイスはいろんな方々の援助があって、創業当時、自宅の納屋を改装してから今年で40年になりますと。よくいろんな方から苦労されたんですねと言われる。中村社長様は「毎日が楽しい連続だった。」と自分の幸せは若者の幸せ、自分を支えてくれる若者に感謝している。どうやったら、若者を育てられるか?ビジネスの前に人育てをやっていた。自分は絶滅危惧種だ。とにこやかに、楽しそうにおっしゃる姿がとても印象的でした。私も現在の悩みが人育てです。会社の理念に沿って、みんなで協力し合える社風づくり。自分の事だけじゃなく、みんなで良くなる組織風土づくりに日々奮闘している毎日です。

 

今回、中村社長様とお会いして、ほんといつもにこやかに接してくれて、大変な事でも、全然大したことではないんだと自分自身の考え方ひとつで全てうまくいくんだよとメッセージを頂いたと思います。

何も迷う事はない、自分自身に自信を持って前に進みなさいと自分では受け取りました。

 

次に、私が感じたのは、中村社長様の素晴らしい出会いをつなげる行動力でした。自分の持っている可能性を自分に気づかせてくれた京都大学の吉村先生との出会い、「中村君は幸せだな!」の言葉を素直に受け止め、自分の明るい未来は自分で拓くしかない、自分の道は自分でつくる。

 

そう、気づき、アメリカへ渡る行動力。そこで、また、素晴らしい出会いの連続。当時、世界最高峰の義足メーカーのホズマのジョン・フリーター社長との出会い。工場がオレンジ畑の中にあった。世界の大工場が田舎にあった。田舎から世界へ発信出来る会社を目の当たりに出来た。そこから、さらなる出会いが始まる。英語がほとんどしゃべれないにも関わらず見知らぬアメリカの地へ行く行動力。逆に英語がしゃべれないから新たな出会いが合ったと考える前向きさ。ロサンゼルス、サンタモニカの工場へ、日系人オーナーとの出会い、奥様の両親が島根県出身だった。これも、偶然なのか?中村社長いわく、「天のお導き」人は一瞬たりともずれる事無く会いたい人に会えるし、人のために動いていると素晴らしい出会いをさせてくれるんだ。と、おっしゃっているようでした。

 

中村ブレイスの名前の由来も素晴らしいかった。ブレイス(支える)「人を支える、地域を支える」中村社長様はじめ、社員さんもみな支えることを誇りにお仕事、実践されているお姿が素晴らしかったです。創業月は一人のお客様からスタートし、現在では1万人(目安)位、ということは1万倍になっている。義肢義足は1個1個手作りなので、この1万倍のお返しをしたい。

 

我々の製品を必要としてくださるお客様、同業者様、社会に感謝される仕事をしたい。石見銀山の麓、寂れてた地域を再生したい、古民家を買い取り修復して地域の町並みの再建などの地域貢献。言い尽くせない素晴らしい活動をされていました。また、社員さんに自社の仕事の誇りとやりがいを持ってもらうために、世界9カ国での特許取得、販路拡大の為ではなく、社員さんの働きがいのためにというところに中村社長様の人育てを感じました。いいものを作れば、500人の町からでも世界へ発信することで仕事はビジネスは成り立つ。世界の何%の人でもいいから役に立てることがある。特異な物で勝負、一気に成長しなくても良い。損得抜きで夢を追いかけて行く会社、次世代につなげていきたい。「いい会社」とは社員さんを大切にする会社。優しさだけじゃなく、厳しさ、けんかもする。家族と一緒。現在「Think」を掲げて向上心と考えるをテーマに経営されている。最後に、「仕事がなくても楽しくてしょうがない」じっくり成長していけばいいんだよのお言葉に精神的余裕と私たちに対するエールを感じ取りました。中村社長様の醸し出す雰囲気と温かみのある存在感に勇気と感動を頂きまして、明日からの経営につなげて生きたいと考えます。ほんと、素晴らしい出会いに感謝いたします。

 

 

*最後に 今回初めての参加でしたが、非常に有意義な時間を頂き、また牧野さんはじめいい会社研究会の方々と交流させてもらいありがとうございました。、明日からの自社の経営に活かしつなげたいと思います。次回、皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。

30代男性

今回伺った中村ブレイス株式会社様では、まず社長のお話、会社の歴史・業務紹介などをお聞かせいただき、その後現場を見せていただきました。“見た目”だけで言えば、具体的に「これは凄い」「他ではない所だ」という部分は特段見受けられず、特殊なことをやっているという印象はありません。ただ、熱心な会社が陥りがちな「改善」という形・行動自体が目的になってしまうといった脱線も全く無く、逆にやや雑然としている部分がありながらも考えられた形跡が随所にありました。(動線・物の使用頻度別の遠近など)

 

 そして印象的だったのは「Think」という言葉が職場のいたる所に掲げられていたことです。これが社長・会社から社員に向けて発せられた言葉ではなく、自分事として社員の方々に共有されていることを職場の様子から感じました。なんらかのギミックで単純化・効率化を目指しているわけではなく、至ってシンプルな「働く人の為・顧客の為の目的に沿って考えて仕事をする職場」でした。目的意識が希薄でコストや効率のみを考えてしまうと「考えないでも仕事が出来るようにする為に考える」といった働いていて虚無感を感じるようなループに陥りがちですが、中村ブレイス株式会社様のものづくりは物に主眼を置いたものではなく(もちろん結果は物として現れますが)、人(の為)に何が出来るかが根底にあるものづくりであり、人・地域・会社の繋がりを良いものにし、それぞれの幸せのために活動することを目的としているのではないかと、社員の方々の働く様子や中村社長のお話の内容からうかがうことが出来ました。

 

 製品を手にされる方にとことん寄り添って辿り着いた「メディカルアート」や装具の数々、社員の方々「Think」と情熱を持ったものづくり、ゲストハウスなど相手の立場に立った仕組み等それぞれ「誰かのために」行ったことが、自然と自社の利益に還元され、それを地域の発展、会社・社員と地域の関係性構築へと繋げ、さらに良いものを生み出す環境が作られていく。まさに理想の好循環があるのではないでしょうか。その好循環を生み出す根本が、中村社長のものごとのとらえ方から始まったのではないかと思います。「苦労したことが無い」「ラッキーだった」という社長の言葉は、額面どおりではなく「中村社長がそう感じた」のだと思います。目的意識がありその為に考え抜くからこそ物事の受け止め方がポジティブなのだと思います。

 

 よい仕事をしよう、というモチベーションを支えるのは私の場合、誰かの役に立てる、誰かがありがとうといってくれることです。

自分が関わって作ったものが誰かの手に渡り、役に立つ。製造業というものは扱う分野によって最終的な利用者との距離が異なります。中村ブレイス株式会社様では非常に患者さんや顧客とダイレクトに繋がるものを扱っていらっしゃるので仕事の意味付け、意欲の維持向上はしやすいのかもしれません。一方で係る責任も一層増して感じられるかと思います。現場に患者さんなどからの手紙が掲示されており、常に皆が顧客の方を向いて仕事に取り組めるような職場になっています。

 

 あまり具体的な事例が挙げられずもどかしいのですが、数分数時間みて「これ真似しよう」といった簡単に盗めるものでないものが中村ブレイス株式会社様の躍進の原動力として確実に存在していました。観念的なことばかりになってしまいましたが、良い会社をかたち作るものは信念、夢を持ち、目標を追い続け、尽力する、これが根源にあるのだということをひしひしと感じました。

 

 このたびはこのような機会をいただきましてありがとうございました。


30代男性

島根県、大田市、大森町、この3地名だけでも十分説得力のある田舎感を出していますが、そこに大森町人口400人。かねてよりお名前とその社会貢献性の高さを伺っていた中村ブレイスに訪問させていただくこと出来ると聞いた時、即参加決定をしました。

 

訪問前に私の中で抱いてた「????」をいくつか減らせることができればと思い、訪問させて頂きました。過去にいい会社研究会見学会で訪問させて頂いた企業の多くで私の中に大きな気付きと、企業支援をする立場にとっての大きな転換点を作ることが出来ました。今回の中村ブレイスについても同じものを期待してきました。

 

 以前、法政大学大学院の坂本教授の講演でお見かけした中村社長が、玄関でお出迎えして頂きました。大変お優しいお顔をされていてそれだけでも、「この人は凄い人だな。惹きつけるなぁ」と思ってしまいました。

社内で中村社長のお話を伺い改めてですが親近感を感じさせて頂きました。中村社長はアメリカに行かれて、最新の技術を身につけて帰国し、日本のそれも大森町で会社を興し、地域復興にご尽力されたことは、私が大学を中退しアメリカに渡ったという(その部分だけですが)、私の履歴と共通点を感じました。中村社長は世界のホズマとおっしゃっていましたが、私の場合は世界のMP3.COMでした。技術は大したものを身につけることは出来ませんでしたが、先進企業の雰囲気やそこで働く気概のようなものを感じることができました。中村社長が「英語がわからないので、様々な人が助けてくれた。そしてその人達を素直に信じるようにしていた」とおっしゃっていましたが、中村社長の見た目通りのお人柄で、アメリカ留学が成功したのは必然のように感じます。またビジネスに対しての考え方は「意外性がビジネスでは大事」とおっしゃっていましたが、製造業の方の多くはユーザビリティを追求するために意外性や個性を失う傾向にあると思います。やはり中村ブレイスの現在の成功は必然と感じます。

 

 以前に東南アジアでの義肢技術提供をするビデオを拝見して、一般的な企業の尺度で言うと「自社の特別な技術を後進国に自ら行って、それをその国合わせた技術にまで落としてあげて提供する」なんて考えられないと思います。しかし、そこにはお金という尺度が使われているからだと思いますが、中村社長の不自由な生活をされている方への思いがこの技術提供に至っていると思うと、感服するばかりで偉大な方だなぁと思いますし、今後の中村ブレイスは大変な方を社長としてお持ちになっているなと感じました。これだけカリスマ性のある社長がいらっしゃると、次世代はかなり大変ではないかなぁと思ってしまいました。

私の本業は旅館ホテルの経営コンサルティングを行っておりまして、そのようなケースによく立ち会います。地域で有名で、また国内に広げて見ても有名人。そんな家系に生まれたご長男さんは大変だと思います。しかし、今回社内案内を頂いたご長男様のお話ぶりを聞く限りでは、「新しい中村ブレイスを作って、更に社会貢献されるんだろうな」と感じました。お綺麗な奥様もお迎えになられて、盤石の体制が整い新しい中村ブレイスを作って頂けたらと思います。

 

 中村社長のお話と切っても切れないのが石見銀山だと思います。石見銀山の世界遺産登録は2007年。今から7年前です。しかし、中村社長のお話を聞くと大森地区の古民家を買い取り一軒一軒直し始めたのは今から10年前といいます。ここでもまた想像をひっくり返されました。「世界遺産に登録されたのだから、観光客も増えるし、地域にお金が落ちるようにもっと町並みを整備していこう!」が一般的な企業が考える発想だと思います。しかし、中村社長は世界遺産登録の3年前から家屋購入を進めていらっしゃいました。観光地としても大森地区は景観が素晴らしく、他にない魅力を持っていると思います。さすがは、中村ブレイス。感銘しました。

 

 今回、中村ブレイスさんへの訪問には大きな目的がありました。それは、当社がインターンシップ生として受け入れているS君の気付きを作るでした。S君は都内の有名大学に在籍している優秀な大学生で、この8月から当社でインターンを行っています。大変優秀な学生なのですが、大学三年生の現在においても就職活動を十分行えておらず、私としても不安のたねでした。こう言ってはなんですが、普通に就職活動を行えば中の上以上の企業に入ることは出来ると思います。

しかし、彼の中に就職や企業に関しての「???」が消えておらず、何のために就職しなければいけないのか?企業で何をするのか?という大きな問題が払拭できずにいました。そこで、一度お話を聞いたことのある中村社長の会社に訪れることで何かが見つかるだろうという思いでS君を連れて行きました。はっきり申し上げて、S君は変わりました。羽田空港から出雲空港に向かう飛行機内では何かモヤモヤした雰囲気があり、恐らく「なんで授業を4日間も休んでまで、JAL乗ってんだろう。。。やっぱり授業出ておけばよかったかな。。」という思いだったんでしょう。2日目に貴社を訪問してから目つきが変わってきたと思います。それは、大学の授業や東京、就職活動で言われるみんなが入りたい優秀な会社という指標からは計れない中村ブレイスを見て感じ取ったからだと思います。株主優先の企業存在意義を中心に教えられている現在の自由経済主義的な教育では、確かに社会貢献する会社がきちんと利益を上げて、新卒採用をすることなんて考えられないんだと思います。

私も2年前位まで同じ思考でした。しかし、良い会社の法則実行委員会勉強会に出会い、企業の成長は従業員とその家族、またその地域、関係協力社の幸せから成り立つという、会を主催する牧野公彦さんの経営コンサルティングの実践的な教訓から組み立てられている法則に共感し今に至っています。S君の大きな成長を見ることが出来ましたし、旅館ホテルコンサルタントとしては、ゆずりはも見ることが出来たので、大変充実した日でした。今後も変わることはないと思いますが、中村ブレイスは既に多くの方にとってベンチマークになっていると思います。既に社会的必要な存在なってしまっていると思うので、これからも変わらず、変わっていって下さい。またいい会社をひとつ見つけたきがします。ありがとうございました。

50代女性

島根県太田市大森町、人口400人の小さな町に70名の社員を有し義肢装具を製造販売している「中村ブレイス」様の本社があります。

本社は、世界遺産の石見銀山の入り口にモダンなおしゃれな白い博物館のような建物です。隣の武家屋敷や代官所跡資料館とも自然に溶け込み、美しい自然に溶け込みながら、世界に発信する自信と誇りに溢れた空気を外観から醸しているように感じました。

 

社長自らが玄関先まで出迎えて待っていてくださったことには感激しました。一度通り過ぎてしまったことまで見ていてくださったとお聞きし、中村社長の人となりを感じる出来事でした。

 

今年創業40年を迎えます。納屋を改造して一人から初めた会社は、偏狭な町から世界に通用する会社へと成長しました。

私が「中村ブレイス」様を知ったのは、この「いい会社」法則員会のセミナーに参加したことがきっかけでした。「いい会社」として「中村ブレイス」様の紹介があり、人から喜ばれる会社がある。本物そっくりな人口乳房や、義指、義手、義足を製造している会社があることを知り、できるなら一度は訪れたいと思っていました。人口乳房には特に関心があり私の近親者に数人必要としていた人がいたからです。身近で見ていて、40数年前は人口乳房さえもそんなには普及していない時代でしたので、自分達で綿を詰めて作っていました。姉妹たちでの旅行にも行きたくない状態でした。人口乳房があったらどんなに良かったことかと思っていましたので、今回、会社訪問させていただき、実際に人口乳房や、義指、義手をみて、とても驚きました。こんなに本物そっくりとは、びっくりしました。患者さん一人ひとりに合わせた丁寧な妥協しないものづくりに感激しました。

 

一つの義肢装具が失意のどん底にいる人たちに笑顔を取り戻し、ひとりの人の人生を変えていく。カンブリア宮殿をみて切断してしまった足が再び戻り自分で歩ける喜び。本当に感動で涙が出てしましました。その陰には中村ブレイスさんの社員の皆様のたゆみない努力があります。それを微塵もの感じさせず、社員みんなが喜びで、やりがいを持って仕事をしている姿に誇りと自信を感じました。

 

日本中から、世界中から必要とされる、こんな素晴らし会社があることに日本人として誇りを感じます。

 

 

今回、お話を聞かせていただいたり、本を読ませていただいたりして思ったことがあります。それは人との出会い、人との縁が中村社長の進む道を導いていったように思われてなりません。「天の導きであった」とおしゃっていましたが、使命(ミッション)があって導かれたように、

天に導かれ「天職」としてこの仕事に就くべくして就いたように感じられました。渡米先で世界的義肢装具のホズマーで副社長に歓待され、義肢装具製作所を経営している和歌山出身の日系人に出会い、2年半のアメリカでの修行ができ今の中村ブレイスの基礎になっています。日系人社長の奥様のご両親が同じ島根県出身という縁もあり、出会うべくして出会った、神仕組み的運命を感じます。

素晴らしい縁を引き寄せる何かを持ってらっしゃいます。

その秘訣は、信条に「人のせいにしない」「自分が道を選ぶ」「できないのは努力が足りない」「すべてをプラスに考える」という言葉にヒントが隠れているように思います。

すべてをプラスに変えていく力はチャンスをつかむセンスにも表れているように思います。

チャンスの女神は前髪しかないと言われるようにチャンスを確実につかむセンスと実行力と向上心があるところを私も身につけたいと切に思いました。

 

オレンジ畑の中にあっても世界に発信する会社がある

カルファルニアのキャンベルという田舎町にあったホズマという企業は義足メーカーで世界一、二を争う優秀なメーカーが田舎町でも商売が成り立ち成功している。

この島根の町から世界に発信する会社を作ろうと決意します。そして成し遂げました。

「自分の持っている能力があれば磨く努力を一生かけてしょうと決意した」

強い信念が中村社長の原動力の基になっています。

 

中村ブレイスの「ブレイス」とは『支える』ことです。人を支え、地域を支える。地域貢献として地元大森町の復興を願い石見銀山の世界遺産登録に尽力され、島根県大森町を一躍、世界の大森町にされた方でもあります。地元を愛し再生させた実力の持ち主です。

古民家を買い取って修復して復興させ大森町を甦れた功績はとても大きです。

今までに45軒もの古民家を全部自力で修復してきました。

 

中村ブレイスの社是は『THINK』です。常に考える。人の身になって考えること。

各作業所、作業所に手書きで書いてありました。紙も違えば自体もちがう。

ものづくりという現場にこころがこもっています。アットホームさを感じ自由な雰囲陰気を感じました。

 

「苦労したとは思っていない。楽しい毎日の連続であった。」

優しい笑顔の奥に、渡米先での九死に一生を得た経験や苦難・困難をすべて感謝とプラス思考にかえいく、鋼のような愛ある強さを感じました。40年間コツコツと積み重ね、夢を実現された大きな器の広さも感じさせていただきました。これからも未来先駆者となって走り続けていかれることと思います。

 

またご縁がありましたら、もう一度訪れたいと思います。

本当にあるがとうございました。

30代女性

見学会に参加し非常に良い刺激を受けました。通常では、義肢作成の見学も含め会社見学をさせていただく機会は少なく大変興味深く、学ぶべきことが多くありました。

実は、私は現在、今年の4月から総務部へ異動し、部長職に就いておりますが、ほんの少し前までは理学療法士として40人の後輩とともに病院でのリハビリテーション治療に携わっておりました。その中でも特に脳血管疾患の患者様や小児の患児に関わることも多く、今回の見学会は理学療法士としても「中村ブレイス」という会社そして、社長はじめ義肢装具士の方々の思いと技術者としての教育課程など様々な視点から大変興味を持っていました。

中村社長のお話の中で印象的なことをいくつか挙げたいと思います。

ひとつは「出会い」について

中村社長は吉村先生との出会いについて先生の「君は幸せだね。」(本当は、中村社長は吉村先生のことを羨ましい気持ちでいっぱいだったようですが・・)の一言が自分を変えた一言であったと仰いました。この一言は、人によって様々な捉え方があるように感じました。でも、中村社長は、その環境や状況を人のせいにはしてはならない、自分で自信をつけるしかない。自分の能力を磨く努力を一生かけてする。と決意された瞬間であったと語られました。

 

二つめは「チャンス」について

中村社長が23歳の時に渡米された時のジョン・クリータ社長と出会い、英語を話すことができない中で「ここに行きなさい。」と名刺を渡され、石橋義肢装具士に出会い、「こういう若者を育てたい。」と言われ、今の社長があるとお話されました。

この出会いを自分のチャンスと考え、できないことは何もない。できないと思い込んでいるだけ

とお話されたことが非常に印象的でした。

 

 

そして、Brace=支えを社名にされ、人を支える、町を支える、地域を支えることを会社の使命とされ世界の中村ブレイスになり、今でも謙虚に「人の支えでここまでできた。」と感謝しながら、その恩返しとして町おこしに力を注がれていることに感激しました。

 

「社員をかわいがる会社は成長する。」とおっしゃったように中村社長の存在は、社員にとっても近い存在で制作現場見学の際に社長が気さくに義肢装具士の方々に声を掛け、笑顔でお互いにお話しされていた場面も印象的でした。

 

社長の名刺の名前の後に義肢装具士と書かれており、これが社長の原点でもあり現在でもあると感じました。正直、私も名刺を4月に作り替える際に理学療法士という肩書を載せるかどうか非常に悩みました。心の底ではずっと現場で臨床をしていたいという思いと現場を少し離れ、組織をそして地域づくりをいっそのこと今までの肩書に頼らず、という思いと。しかし、中村社長のお話を聞く中でそうではなく、今までの自分がいたからそして、今までの経験があるからこそ、これを生かして人材教育・地域貢献をしていこうと決めました。

これは、私にとっては日頃からのモヤモヤが晴れた気分でした。

 

次に理学療法士として義肢装具士の方への気持ちを伝えたいと思います。

私は、12年間の整形外科病院・リハビリテーション病院の臨床経験の中で多くの義肢装具士さんに出会いました。正直、私は装具や自助具に対する期待感は強く、実際に何人もの患者様が立位すらも取れない状況の中、両側支柱付下肢装具等により歩行獲得までできるようになった方が見えます。装具がなかったら、義足がなかったら私たち理学療法も非常に制限された世界に留まったことでしょう。そして、患者様のあの立てた時の喜びや歩けた時の感動を一緒に味わう機会も少なかったと感じています。こんな思いで仕事をしていたためか、患者様にとって満足の得られる義肢装具士を探すのに3つ会社を変えました。私が望んだことは、患者様に会って話して、そして一緒に悩んだり喜んだりとできる人でした。これは、職業が違っていてもその人の人生に関わるという、その人の障害に寄り添うという点では同じと考えていました。ただし、残念なことにこれはどのような専門職・技術職の中でも同様なことですが、義肢装具士の中にもそうでない人がいました。

ただ、そうであっても私は妥協することなく求め続けた結果、今も協力していただいている協和義肢さんに出会うことが出来ました。

 

やはり装具や特に義足・小児関連装具に関しては非常に高い技術を必要とすると思います。そして、勉強し続ける必要があると感じます。

中村ブレイスの職員の方々は、楽しそうにそして自信をもってお仕事をされていました。

 

本当に仕事が好きで、楽しくてやってきたとおっしゃった中村社長の意思をそのまま引き継いだ職員の方々が大勢いらっしゃることが会社の強さと世界に向けての発信力につながっているのだと強く感じました。

 

私も理学療法士として患者様を通じて中村ブレイスの職員の方と直接お仕事してみたいなという気持ちも沸いてきて、また、臨床への思いが強くなってしまいました。

 

 最後に、製品の作成現場という会社にとっては非常にデリケートな部署を快く見学させて下さった中村社長とお忙しい中わざわざ作業の手を止めて笑顔で挨拶をしてくださいました職員の方々に感謝の気持ちを伝えたいと思います。そして、出会いに感謝いたします。

本当に良い経験をさせていただき、ありがとうございました。

30代男性

平成26年10月2日に中村ブレイス株式会社へ訪問しました。

 石見銀山の中にある本社にお招きいただいたため、本社に向かいましたが、場所が分からず少々迷いました。そのため石見銀山の町の中を少し見てからの訪問となりましたが、町が昭和時代かそれ以前の古い町並みで、正直な感想は「少し寂れた」場所である印象をうけました。

 

 中村社長も以前の街並みを「ゴーストタウン」という表現をされていました。書籍によると、石見銀山で銀が産出されていた戦国時代には、世界中から知られ、この町は人口20万人を超える人がいたそうです。石見銀山の入り口で説明されていた方の話によると、山の上にも家が建ち、人が住んでいたそうで、その時代の昔話を祖父や父、近所の人々から中村社長が聴いていたために、出た言葉だと思いました。その反面、このような話を聞くことによって世界に向けての視点が子供のころから育まれてきたのであろうと想像しました。

 

 実際、中村社長は技士装具の最先端技術をアメリカで学んで帰国することになりましたし、この土地で会社を創業した意味として「この町から世界に発信し、以前のように日とが集まって輝きを取り戻す。」そんな思いがあったそうです。とても大きな目標でしたが、現在、石見銀山は世界遺産となり、多くの人々の目に触れるようになり、輝きを取り戻そうとしています。 地元で代々住まわれてきた土地には愛着があります。自分の家も古く代々土地を守りながら生きてきました。以前の町の輝きを取り戻したい気持ちがよくわかります。

 

 

 このようなお話もありました。「ビジネスの前に人を育てる。そして、それを喜びとしてきた。実際にはトラブルメーカーのような従業員もいたが、若者を育てることで、若者が手伝って支えてくれる。それに対してまた応えようとしてきた。」育てることと、お返しのように頑張ってくれる若者。更に応えようとする社長、という素敵な循環が会社の中に生まれていることを知りました。

 

 DVD動画を拝見しました。義肢を心待ちにされている方へ従業員の方が義肢を手渡されたとき、

患者の目から流れ落ちる喜びと何か多くの感情が混ざった涙を見たとき、そして、義肢を装着してすぐに歩こうとリハビリを始めた姿を見たときに、この瞬間のために中村ブレイスがあるのだと感じます。

 

 学生時代の恩師の言葉「中村君は幸せだね。」の裏には自分の境遇の愚痴を言った中村青年にかけた言葉が今になって人生の中で大きな意味を持っていたことを知りました。「人のせいにしてはいけない」「まずは自分で一歩を勇気をもって踏み出すこと。」「自分の能力を最大限に一生かけて磨き続けてゆこう。」と解釈され、人生の指針とされています。

 

 また、アメリカでのお世話になった方の名前ジョン・フリータさんの名前を何十年もたって記憶されており、この場で語られることや、ジョンさんからしていただいたことを未だに大切に思い、感謝されている人柄が人や物事との縁を繋げ、素晴らしい出来事を引き寄せるのでしょう。

 その反面、その際には「金銭的な支援を受けたことは無い」の言葉も話の節々から出てきました。金銭的な援助は頼ることなく、自分の力で学び、経営してきたことは中村社長のプライドでもあるでしょうし、その姿勢が会社経営の中で現れる好不況の波に翻弄されずに今日までやってきた要因の一つであろうと思います。

 

 

 見学会の後、仲間内で話し合いがありました。日本の会社経営について話が及び「年功序列が今の時代に合っているとは思えない」との意見が一人から出ました。しかし、今回の会社見学で見てきた、先輩が後輩に技術を教え伝えてゆく姿を話し合い「あのような姿が正しい年功序列だよね。」と話しました。若者が年長者に敬意を払うのを求めるのと同時に、年長者は尊敬を得るように日々研鑽してゆかなければなりません。制作現場で質問した際に「一人前になるには10年かかります。更に、ここにある自社で制作している製品のほとんどを製作できる人がいます。全て出来るようになるには長い時間がかかります。」とききました。朗らかに挨拶していただける方もいらっしゃいましたし、挨拶の直後に真剣な顔つきで一心不乱に石膏を削っておられた方もいらっしゃいました。DVDで見た方のために真剣に良いものを作ろうとする姿勢を感じました。

 

 印象的な言葉がもう一つあり、「要は、人は出来ないと思い込んでいるだけなんです。」と教えていただきました。これから未来へと進むときに、何かを成し遂げようとするときに、とても勇気をいただきました。

 

 

私は「中村社長はラッキーという言葉を何度も使われましたが、運がよくなるにはどうしたらよいでしょうか?」と尋ねたところ「運が良かったことは認めるけれど、そればかりでは無かった、アメリカに留学中に交通事故にあって死んでしまうような目にも合っています。しかし、出会いや出来事を良いように解釈してやってきました。」と教えていただきました。自費で渡米しアメリカの最先端の技術を学ぶ積極的な姿勢と、努力、そこに現れる物事を、自分の良いと思われる方へと解釈して、よい方向へつなげてきた事が現在の中村社長と中村ブレイスを作ってきたのだと思います。

 

 「いい会社」として日本で有数の会社の社長の言葉はとても分かりやすく、シンプルで、感謝とと慈愛に満ち、道徳的で、そして情熱的でした。

 経営戦略戦術の話は一切出ず、人の道を示されました。

 そのお話の中に「いい会社」としてのヒントがあるように思います。

今回は貴重な時間をいただき、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております。 

30代男性

平成26年10月2日に中村ブレイス株式会社へ訪問しました。

 石見銀山の中にある本社にお招きいただいたため、本社に向かいましたが、場所が分からず少々迷いました。そのため石見銀山の町の中を少し見てからの訪問となりましたが、町が昭和時代かそれ以前の古い町並みで、正直な感想は「少し寂れた」場所である印象をうけました。

 

 中村社長も以前の街並みを「ゴーストタウン」という表現をされていました。書籍によると、石見銀山で銀が産出されていた戦国時代には、世界中から知られ、この町は人口20万人を超える人がいたそうです。石見銀山の入り口で説明されていた方の話によると、山の上にも家が建ち、人が住んでいたそうで、その時代の昔話を祖父や父、近所の人々から中村社長が聴いていたために、出た言葉だと思いました。その反面、このような話を聞くことによって世界に向けての視点が子供のころから育まれてきたのであろうと想像しました。

 

 実際、中村社長は技士装具の最先端技術をアメリカで学んで帰国することになりましたし、この土地で会社を創業した意味として「この町から世界に発信し、以前のように日とが集まって輝きを取り戻す。」そんな思いがあったそうです。とても大きな目標でしたが、現在、石見銀山は世界遺産となり、多くの人々の目に触れるようになり、輝きを取り戻そうとしています。 地元で代々住まわれてきた土地には愛着があります。自分の家も古く代々土地を守りながら生きてきました。以前の町の輝きを取り戻したい気持ちがよくわかります。

 

 

 このようなお話もありました。「ビジネスの前に人を育てる。そして、それを喜びとしてきた。実際にはトラブルメーカーのような従業員もいたが、若者を育てることで、若者が手伝って支えてくれる。それに対してまた応えようとしてきた。」育てることと、お返しのように頑張ってくれる若者。更に応えようとする社長、という素敵な循環が会社の中に生まれていることを知りました。

 

 DVD動画を拝見しました。義肢を心待ちにされている方へ従業員の方が義肢を手渡されたとき、

患者の目から流れ落ちる喜びと何か多くの感情が混ざった涙を見たとき、そして、義肢を装着してすぐに歩こうとリハビリを始めた姿を見たときに、この瞬間のために中村ブレイスがあるのだと感じます。

 

 学生時代の恩師の言葉「中村君は幸せだね。」の裏には自分の境遇の愚痴を言った中村青年にかけた言葉が今になって人生の中で大きな意味を持っていたことを知りました。「人のせいにしてはいけない」「まずは自分で一歩を勇気をもって踏み出すこと。」「自分の能力を最大限に一生かけて磨き続けてゆこう。」と解釈され、人生の指針とされています。

 

 また、アメリカでのお世話になった方の名前ジョン・フリータさんの名前を何十年もたって記憶されており、この場で語られることや、ジョンさんからしていただいたことを未だに大切に思い、感謝されている人柄が人や物事との縁を繋げ、素晴らしい出来事を引き寄せるのでしょう。

 その反面、その際には「金銭的な支援を受けたことは無い」の言葉も話の節々から出てきました。金銭的な援助は頼ることなく、自分の力で学び、経営してきたことは中村社長のプライドでもあるでしょうし、その姿勢が会社経営の中で現れる好不況の波に翻弄されずに今日までやってきた要因の一つであろうと思います。

 

 

 見学会の後、仲間内で話し合いがありました。日本の会社経営について話が及び「年功序列が今の時代に合っているとは思えない」との意見が一人から出ました。しかし、今回の会社見学で見てきた、先輩が後輩に技術を教え伝えてゆく姿を話し合い「あのような姿が正しい年功序列だよね。」と話しました。若者が年長者に敬意を払うのを求めるのと同時に、年長者は尊敬を得るように日々研鑽してゆかなければなりません。制作現場で質問した際に「一人前になるには10年かかります。更に、ここにある自社で制作している製品のほとんどを製作できる人がいます。全て出来るようになるには長い時間がかかります。」とききました。朗らかに挨拶していただける方もいらっしゃいましたし、挨拶の直後に真剣な顔つきで一心不乱に石膏を削っておられた方もいらっしゃいました。DVDで見た方のために真剣に良いものを作ろうとする姿勢を感じました。

 

 印象的な言葉がもう一つあり、「要は、人は出来ないと思い込んでいるだけなんです。」と教えていただきました。これから未来へと進むときに、何かを成し遂げようとするときに、とても勇気をいただきました。

 

 

私は「中村社長はラッキーという言葉を何度も使われましたが、運がよくなるにはどうしたらよいでしょうか?」と尋ねたところ「運が良かったことは認めるけれど、そればかりでは無かった、アメリカに留学中に交通事故にあって死んでしまうような目にも合っています。しかし、出会いや出来事を良いように解釈してやってきました。」と教えていただきました。自費で渡米しアメリカの最先端の技術を学ぶ積極的な姿勢と、努力、そこに現れる物事を、自分の良いと思われる方へと解釈して、よい方向へつなげてきた事が現在の中村社長と中村ブレイスを作ってきたのだと思います。

 

 「いい会社」として日本で有数の会社の社長の言葉はとても分かりやすく、シンプルで、感謝とと慈愛に満ち、道徳的で、そして情熱的でした。

 経営戦略戦術の話は一切出ず、人の道を示されました。

 そのお話の中に「いい会社」としてのヒントがあるように思います。

今回は貴重な時間をいただき、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております。 

40代女性

この度、10月2日に、島根県大田市大森町にあります中村ブレイス株式会社様を訪問させていただきました。

 中村社長は、私たち訪問者を受け入れた際に、世界遺産の石見銀山の入り口にある会社ということで、緑に囲まれ空気が澄んでいて、自然と共に働いていることをお話しされ、その環境の中での営みを感じるように促してくださいました。その自然に満ちた光景は、あまりにも心地がよく、とても素敵でした。せかせかしてなく、じっくりと仕事に向かえ、集中できるといった感じでした。

 

 その自然の魅力はともあれ、この大森町は人口わずか400人ほどの町ということでしたが、そこから世界へ、約30ヵ国から義肢装具の注文を受け、製造販売しているということに、まず、驚きました。そして、そこには世界に誇る日本の技術がありました。実際に見せていただいた人工乳房や指、手などは、感触も含め本物そっくりで、感動しました。

今に至るまで、何もない故郷の田舎に戻り、何もないところから一人で会社をはじめ、その時から世界に発信していこうと決め、それから事を成したという話を伺いました。中村社長は「苦労したということはない。楽しい毎日の連続だった。」と話されましたが、そこまでの社員や技術者を育てることは、並大抵のことではなかったと思われます。

また、アメリカで学んだ経験や恩人との出逢い、ご縁や感謝の念等々さまざまなお話もありましたが、その経験が、若者を育てるという考えの基となり、生むところから、継続、発展へと展開していく中で「人が成長すれば物が売れる」という考えにいきついている様に感じました。まさに、自分が他人にしていただいて「ありがたかった」経験を今度は自分が誰かにして差し上げる、いわゆる恩返しを事業を営む中で形にし、実践されており、大変感銘を受けました。なかなかできない、とても素晴らしいことだと思いました。

 また、中村社長のお話を伺い、世の中で何が必要とされているのか見極めることが大切だと感じました。

中村社長は、世の中の困っている人たちのニーズを的確に捉え、どうしたら満足していただけるのか、その品質にもこだわり、熱い思いと志をもって、それに応えようと取り組んでこられたのがよくわかりました。

そしてまた、若者を育て、社員が成長していくことが社会貢献になるということ。「お金儲けのために何をするか」ではないということがよく分かりました。人を大切にする心、郷土を愛する心、誰かの役にたとうとする心を強く感じました。

 

 そして、社内も見学させていただきましたが、社員のみなさんは挨拶が徹底されており、活き活きと仕事をされていました。そればかりではなく、仕事の一つ一つを丁寧にされており、説明を伺っていても、社員さんの熱意も伝わってくるほどでした。ひとつには、人が生活を営むため、そして生きていくための「人体そのもの」の一部を製造しているという意識とこだわりをもって取り組んでいるということ、また、その一つ人一つをとことん追求し、自分たちの会社の持つ技術に誇りをもって仕事をされているということが感じられました。

 

 具体的には、義足の身体に直接接する部分について、負担や痛み、違和感がなく自然な感覚で装着できるように、患者さんと何度もやりとりをしながら納得のいくものを造っていくとのこと。そこが患者さんの満足のいくものでなければ、歩行のバランスばかりでなく、身体全体に影響を及ぼすことになり、きめ細やかで、且つ大変重要な仕事であると感じました。また、そればかりではなく、突発的な事故や病気等で自分の足や手、乳房を失うことを余儀なくされた方々にとっては、その精神的苦痛や心の痛みを伴う辛い状況と思われます。その状況をも受け止め、支えながら新たな人生を歩む支援をしていく仕事でもあり、社員のみなさんが、その経験を積みながら共有しながら仕事をしていくことは、大きな成長につながると思いました。そして、このように仕事が自由な感覚や発想でできる環境があることが、とても大切であり、社員のみなさんの「幸せ」と、その「幸せ」の継続には、ストレスや縛りがないことと、仕事をすることに対して満足感を抱いていることにもあると思いました。

 

 「幸せ」という字の横一棒を抜くと、辛いという字になります。人は、何かが欠けると幸せであったものが、辛いことに変化します。それは、身体のこと、心のこと、環境のこと、様々だと思います。しかし、誰かの支えや支援により、その欠けた横一棒を取り戻したり、修復したりし、再び幸せを感じることができると思います。そこには人と人との関わりがあり、心と心の通い合いがあってこそと思います。

それが、家庭や会社、社会の中で行われることが望ましいのですが、仕事の内容自体が人の思いを形にすることであり、これらが備わっている会社だと感じました。なぜなら、人工乳房の方が人の目を気にせずにゆっくり入浴したりできるように宿泊施設を設けたり、移住してきた社員へ住居の提供をしたり、更に、中村社長は島根県の教育委員長を務めたり、石見銀山を世界遺産に登録するために尽力を惜しまず貢献されたり、製品を使うお客様、社員のみなさん、そして故郷の地域のみなさんの幸せを考え会社を経営されているからです。そこには支え合い、心の通い合いがあり、それは世界にまで及んでおり、常に人の幸せを考え、形にしていくように行動されていることが、とても学びになりました。感じることや、考えることや言葉で言うことは誰にでもできるけれども、それを形にしていくことや行動していくことは、簡単ではないと思われます。しかし、それができるからこそ、社員のみなさんの成長があるのだと感じました。

 私は、福祉におけるケアマネジャーの仕事をしておりますが、地域づくりや介護・認知症予防という観点からも、物事の考え方や個人から集団における地域の捉え方や場としての地域づくり等、地域貢献の在り方、そして、働くことに対する価値や喜びについて等多くの気づきや学びをいただきました。

 お忙しい中、貴重なお時間と深い学びをいただき、ありがとうございました。今後の活動に生かしていきたいと思います。





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